自分の考え方を主張する機会は度々訪れます。
会社での会議や集会はもちろん、定期的に行われる選挙も、自身の意見や見解に近い人へ投票を行うため、ある意味持論を主張する場と言えるでしょう。
自分の考え方を主張した結果、「それって偏見だよ!」と言われてしまう…なんてこともあるかもしれません。
でも、持論と自論、偏見という言葉って、そもそも使い分けが難しくはありませんか?
そこで今回は、自身の考え方を指す言葉である「持論(自論)」と「偏見」の違いや使い分けについて、わかりやすくご説明いたします。
ちなみに今回の「持論」「自論」のように、同じ読み方で使い方の紛らわしい言葉は、ほかにもたくさんあります。
こちらの記事で特集していますので、使い分けができるかどうか、ぜひ挑戦してみてくださいね。
知識を深めよう!
「持論」の意味と使い方の例
「持論」とは、人が日頃から主張している(持っている)自分の意見や見解のことを指します。
「論」の漢字は一文字で意見や見解のことを指し、それを自分で「持」っているから「持論」と書くわけですね。
自分なりの考えがあることを「持論を持つ」、自分の意見や見解を詳しく話していくことを「持論を展開する」などと表すこともあります。
持論の例文
- 彼は営業トークの進め方に対して持論を持っている。
- 今後の展望について、私なりの持論を述べさせていただきます。
「自論」の意味と使い方の例
パソコンやスマートフォンで「じろん」と入力すると、持論と同じ読みの漢字として「自論」が出てきます。
読みも同じで、漢字の組み立てとしても「自」分の「論」だから持論と同じ使い方でいいような気がするかと思います。
ですが実は「自論」の方は国語辞典を引いても載っていないんです!
意味としては通じますし、一般的にもそれなりに浸透しているので、完全に間違っているとは言い切れないかもしれません。
しかしビジネスシーンなど公的な文章においては控えた方が良いでしょう。
「持論」のつもりが、誤用で「自論」を使うと恥ずかしいので、ちゃんと理解した上で使いましょう。
発音のアクセントも持論と自論で違うのかなって思います。
- 持論→じろん
- 自論→じろん
と発音すると思うのですが、あなたはどう思いますか?
「偏見」の意味と使い方の例
人が持つ意見や見解、考え方を指す言葉としてもう一つ、「偏見」があります。
「偏見」とは片寄ったものの見方や考え方、公平を欠いた意見のことを指します。
中でも根拠が十分ではないにも関わらず、特定の共通点を持つ集団や個人に対して抱く、信念や感情を元にして取られる態度や意見のことを指します。
一般的に悪い意味で用いられることが多いですね。
「偏」の漢字が「本筋や中心からずれている、片寄っている」という意味を持ち、その片寄った見解のことを指すから「偏見」と書くんですね。
個人が持つ偏見に対して、矛盾を付く証拠があっても、それを否定し感情的になりやすいのが特徴の一つとして挙げられます。
一個人としてはそう思っていない人がいても、社会的には片寄った見方をされている(=片寄った見方をしてしまう人が多数派である)ことを「社会の偏見」と表すこともあります。
偏見の例文
- 外国人は皆、日本語が通じないという偏見を抱くのは良くない。
- 偏見にとらわれず、その人自身を見ることが大切だ。
参考記事
「持論」「自論」「偏見」の違いは?使い分けと簡単な覚え方は?
最後に簡単に「持論(自論)」と「偏見」の違いについてまとめて比べてみましょう。
持論と偏見の違いまとめ
- 持論→人が普段から主張している自分なりの意見や見解のこと。
- 偏見→片寄ったものの見方や考え方、公平を欠いた意見のこと。
例えば仕事や普段の生活の中で得た知識や経験則、情報を元にした自分なりの意見は「持論」になります。
確かな情報ではなかったり、根拠が十分ではないのに、こうだと決めつけた考え方や意見は「偏見」になります。
さらに、自身が持つ見解に対して矛盾点が出てきた時に、それを指摘されても否定して感情的になってしまいがちなのが「偏見」です。
例えば、上で例文に挙げた「外国人は皆日本語が通じない」という意見に対して、「日本が好きで日本語を勉強していたり、家族・友人・恋人など近しい間柄に日本人がいたりすれば日本語が通じる場合もある」という指摘があったとします。
その指摘に対して「そんなのはごく限られた例だから参考にならない!」などと反感を抱くのであれば、「外国人は皆日本語が通じない」という「偏見」を持っていることになります。
さいごに
同じ自分の意見だとしても、確かな裏付けがあるか否かで「偏見」なのか「持論」なのかが大きく変わってきます。
どうせなら偏見ではない持論を持てるよう心掛けていきたいですね。