俳句を紹介する番組で「山笑う」という言葉がよく出てきていました。
「山笑う」は、春の季語として使われます。
他にも「山」のついた季語で、
- 「山滴る」
- 「山粧う」
- 「山眠る」
というのもありますね。
それぞれ
- 時期は何月ごろなのか?
- どんな意味があるのか?
- 違いがあるのか?
が気になります。
そこで今回は、「山笑う」「山滴る」「山粧う」「山眠る」の意味と使い方について、わかりやすく解説していきます。
ちなみに今回のように、使い方の紛らわしい言葉は、ほかにもたくさんあります。
こちらの記事で特集していますので、使い分けができるかどうか、ぜひ挑戦してみてくださいね。
知識を深めよう!
「山笑う」の意味や使い方は?時期は何月ごろ?
「山笑う」とは、春の山の草木が一斉に若芽を芽吹いて、明るい感じになる様子を表した言葉で、春の季語として使われます。
春の中でも、「仲春の頃」つまり、現在の3月頃を表します。
実際に山が「笑う」わけではなく、”山に草木が芽吹いたり花が咲いていく事で色づいていくという春の訪れの様子”を擬人化した表現になります。
春になり、次第に周囲が色づき明るくなってきて、浮きたつような心情を表すような使われ方がされます。
有名な俳句として、『正岡子規』の
山笑うの例文1
「故郷や どちらを見ても 山笑う」
(故郷が春を迎え、その明るさが周囲をとりまき、どこもかしこも春めいているという様子)
があります。
また、「山笑う候」として、
山笑うの例文2
「拝啓 山笑う候、○○様におかれましては、一段とご健勝こととお慶び申し上げます」
このように、3月中旬から下旬にかけての時候の挨拶としても使われます。
「山滴る」の意味や使い方は?時期は何月ごろ?
「山滴る」は、草木の葉で覆われて緑が瑞々しく、まるで水が滴りそうなほど美しい夏山の様子を表した言葉で、夏の季語として使われます。
また、「山笑う」と同じように、時候の挨拶としても使うことが出来ます。
「滴る」は、「水も滴るいい男」とも使われるように、美しさや鮮やかさがあふれるばかりに満ちているといった様子を表しています。
ですので、「山滴る」は、木々や生き物などが活発に活動する夏山の躍動感のある美しさを表すような使われ方になります。
時期としては、三夏(初夏、仲夏、晩夏)つまり、現在の5月頃から7月頃を表します。
「山粧う」の意味や使い方は?時期は何月ごろ?
「山粧う」は、秋の山が紅葉によって色づく様子を表した言葉で、秋の季語や時候の挨拶として使われます。
紅葉に彩られた山々が、まるで化粧をしたように美しいという表現であることから、同じ意味と読みの「装う」という字ではなく、「粧う」の字が使われています。
時期としては、紅葉の始まる、9月中旬から11月頃にかけてになります。
また、「山粧う」は反対の意味としても使われます。
木々には、針葉樹のように紅葉しないものもあり、その場合「山粧はず」とすることで、秋になっても紅葉しない木々の山を表すことが出来ます。
他にも、秋になり、りんごが赤く染まる様子のように、山や森などの紅葉する様だけでなく、全く違うものを表現することも出来ます。
「山眠る」の意味や使い方は?時期は何月ごろ?
「山眠る」は、冬の山の静まり返った様子を表した言葉で、冬の季語や時候の挨拶として使われます。
動物たちの動きも鈍くなり、草木も枯れ落葉し、静まり返った冬の山の様子を擬人化した表現で、現在の11月から1月頃を指します。
基本的に、高山や雪嶺には使わず、比較的低い山、人里近くの雑木林に覆われた小さな山に対して使われます。
「山笑う」「山滴る」「山粧う」「山眠る」の違いと使い分けは?
「山笑う」「山滴る」「山粧う」「山眠る」は、どれも、山の様子を擬人化した季語になります。
それぞれ
- 「山笑う」:春
- 「山滴る」:夏
- 「山粧う」:秋
- 「山眠る」:冬
のように、違った季節を表現するときに使われます。
各言葉の由来は、どれも中国北宋画家の郭煕(かくき)が著した、『臥遊録(がゆうろく)』と言われています。
その中の、
- 「春山淡治にして笑うがごとく」(春山のうっすら艶めく様は人が笑っているようだ)
- 「夏山蒼翠として滴るがごとく」(夏山に生えている木や草は青々と生い茂っていて水が滴り落ちるようだ)
- 「秋山明浄にして粧がごとく」 (秋山は清らかに澄み切っていて化粧をしているようだ)
- 「冬山惨淡として眠るがごとし」(冬山は薄暗く眠っているようだ)
が語源になっていると言われています。
さいごに
以上、「山笑う」「山滴る」「山粧う」「山眠る」の意味と使い方について解説してきました。
どれも、四季の移り変わりのある日本らしい言葉になります。
行動制限も解除された今、外に出て自然を感じながら、一句詠んでみてもいいかもしれませんね。